この数日お天気が良かった。そして今日は数日振りに雪が降った。 
 晴れの日も良いけど雪の日も良い。明日は晴れそうだからまたこれも良い。

 さて、オリンピックの男子のアルペンコースは“DAVE MURRAY DOWNHILL(デイブ・マーリーダウンヒル)”という。ここは元々、シンプルに“DOWNHILL”と呼ばれていた。
 
 今年度ここに新しい看板ができた。
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 デイブ・マーリーは70年代から80年代初めにかけて活躍したカナダ・ナショナルチームのダウンヒルレーサー。当時のWC杯シーンではカナディアンがやたらとダウンヒルが強くて、上位10人の中にカナディアンが何人も入っていた時代だった。
 聞くところによるとライン取りとかクレージーなのにタイムは速い。それで“クレージーカナックス”と言われていた。彼が82年にリタイアした後、スキーのディレクターとしてレースキャンプやスキーキャンプを運営し活躍していたが、残念なことに1990年にガンにより亡くなってしまった。まだわずか38歳のことだった。
 1988年にダイブ・マーリーは日本に行っているとのことだが、その時に一緒に同行した僕の日本人の友人は、「あのときにも(デイブは)強い薬を飲んでいたけれど、痛いとか苦しいとか弱音は一切吐かなかったよ」。と言っていた。
 その生き方は本当に強く、多くの人に感銘と勇気を与え続けたのだと思う。だからこそ彼の死後、彼の死を悼んで彼の名前がこのコースに冠されたのだと思う。

 ウイスラー・クリークサイドのダスティーズというレストランの2階にはこんなポスターが張ってある。
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 たぶんウイスラーのビレッジ・ゴンドラがオープンした時のポスターだと思う。デイブ・マーリーとウイスラーのビレッジ・ゴンドラ。このポスターに彼の生のサインがしてある。
 
 そのポスターには“Whistler. The Mountain will move you.”の言葉。

 3月19日のウイスラーの“PIQUE”マガジンにはデイブ・マーリーの娘、ジュリア・マーリーがスイスで行われたスキークロスのWC杯で3位に入賞したという記事がでていた。
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 おそらく来年のオリンピックには出場してくるだろうと思う。スキークロスの会場はバンクーバーのサイプレス山だけれど、デイブ・マーリーはやはり娘のジュリア・マーリーの中に生きているのだなって思う。

 そう考えると、その人の生き方しだいで“死は終わりではない”と強く思う。たとえ死という形で今いる世の中から旅立ったとしても“それは決して終わりではない”と思う。

 
 ところで、12月12日のP2PGのオープニングの日にはウイスラーに来ていたシェーン・マッコンキーの訃報を、ウイスラーの佐々木大輔さんのブログで知った。 
 そして“the adventure life”のHPではスティーブ氏が“McConkey is survived by his wife Sherry, and three-year-old daughter, Ayla ”とコメントを寄せていた。

 シェーン・マッコンキーは勿論ワイフや娘さんの中に生き続けるだろう。そして多くの人々の中に生き続けることと思う。
 また、雪の楽しみ方やスキーの楽しみ方を大きく大きく広げてくれたシェーン・マッコンキーは本当に多くの“贈り物”を残してくれたと思う。


 さて、今日のウイスラー山は雪に覆われていた。 “楽しめよ”そんな言葉が聞こえてくるように思う。
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 明日も滑ろう。


3月28日 新雪10cm(24h) 積雪232cm 山頂温度-10℃ ビレッジ温度1℃