ウィスラーに正式に電気が通ったのは、ウィスラー山がオープンする少し前だったとの記事がウィスラークエスチョンに載っていた。
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まあ、産業用の電気などはもう少し早かっただろうけど、学校やキャビン、もしくは個人の家では自分たちのジェネレーターを備えていたり、裏のクリークに水力発電を作ったり、冷蔵庫はプロパンガスだったり、ほんの50数年前のウィスラーは「なんでも自分でやってやろう」というまさにパイオニアな時代だったのだと思う。

電気が来ても、自分の家まで引くか引かないか、そんな論議もあったのではないか?
あって当たり前と思っていても、もしかしたら取捨選択可能な事柄の一つかもしれない。

ところで、ウィスラー山がオープンしてまもなくラウンドハウスができたが、始めは電気もなく、トイレもなく、薪のストーブがあっただけだったそうだ。
これが昔のラウンドハウスの写真。
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つい先日には、ラウンドハウスのパティオにラウンドハウス・アンブレラバーがオープンした。
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なんとなく昔のラウンドハウスっぽくていい感じ。

ここから絶景を見ながら飲むお酒はとても美味しいと思う。
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ラウンドハウスで購入したランチを片手に、ここでお酒を飲みながら贅沢な時間を過ごして見てはどうだろう?



ところで、現在でもウィスラーに住むローカルの家には、薪のストーブが備え付けられていることが多い。「秋の仕事は一冬分の薪割りだ」と忙しそうである。
一般的に、ウィスラーでは暖房も炊事も全て電気でまかなっているので、電気代はバカにならない。
薪のストーブがあれば、何は無くとも炊事から暖房、灯までまかなえてしまう。

自分自身で、最後のセイフティーネットを備えているということはとても心強い事だと思う。

話は更に遡るが、100年前のウィスラーの様子が偲ばれるところが、レインボーパークだ。メインロッジだったレインボーロッジは焼失してしまったが、当時使っていたキャビンはいまだ健在で、用具入れとして現在でも現役だ。
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窓には当時のアクティビティーの様子が偲ばれる写真が飾られている。
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メインロッジがあったところは広場になっている。
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この数日は天気が良く、まるで春のよう。雪質は日差しが弱いためか結構いい感じ。積雪もそれなりにあり、景色を堪能できる。
12月9日には7thヘブンもオープンしてほぼ全面的にゲレンデがオープンした。
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ここで閑話休題。
実は借りているアパートメントスイートの電気系トラブルがあって、約半月キャンドルやヘッドライトで生活していた。
11月下旬に日本から帰って来て、電灯をつけたら電球が次々に切れて、まるて呪われているかのようだった。冷蔵庫も洗濯機も使えなかった。
ただ不思議なことにヒーターは動いて、クッキングもできて、インターネットも使えたのでなんとかはなっていた。

一日が終わって家に帰ると真っ暗で、キャンドルとヘッドライトの生活はちょっと辛かった。ついでに包丁で指も切って出血も多かったのでかなり落ち込んだ。
もちろん食料も常温保存のものしか買えなかった。

これがバックカントリーキャンプなら当たり前だが、普通の日常生活だと辛い。

もちろん働かせていただいているところから、「社宅があるよ」と言われたり、友人から「うちに来れば」と言われたり、本当に人の温かさを感じた。

最後にほぼ解決に導いてくれたエレクトリシャンはとても親切だった。

たとえそれが、水曜日の約束だったが、彼もものすごく忙しくて木曜日の朝に来ても。
BC HYDRO(BC州電気会社)の人との約束が午後1時だったのに、「ハイウエイでの作業が忙しかった」と真っ暗になった午後7時過ぎに来てくれても。
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フロントラインのワーカーは本当に立派だ。ジョークで「子供は俺の名前を知らない」と言っていたが、カナダのような寒い地域で、電力がないと致命的になるようなところでは、氷点下の暗闇の中で働く姿が神様のように見えた。

今回のキャンドルとヘッドライトの日常生活は、色々なことを考えさせてくれた。
詳しい原因はわからないが、僕が日本滞在中に大きなストームがあり、僕の住んでいるエリアでは数回にわたって停電があったとのこと。
そのため、120ボルトであるべき箇所が240ボルトの供給になっていて、それが電球を次々に破壊していった。電球が破裂してガラスが飛び散る現象も初めてみた。なかなか得られない経験だ。

恐るべし240ボルト。まあ、とりあえずは無事でよかった。

12月12日 晴れ 新雪0cm 積雪136cm 山頂温度−3℃ ビレッジ温度—2℃